タケノコ王メンチきってます~知られざる真実~
面白いテレビのイメージとは対照的に真剣に山を見つめる男がいた。
「たけのこの味を上げるためにはどうすればいいと思う?」
たけのこ農家 風岡直宏48歳。
28歳の時に始めてから20年間たけのこを第一に考えながら生活してきた。初めから上手くいったわけではない。
波乱万丈な人生を歩みつつも、たけのこ農家としての基礎ができるまで約10年かかった。
「今は5000坪くらいの面積かな...昔は6000坪くらいあったの。だけど一人でやっているから効率化を考えて。」
狭い土地で管理をしっかりすることで、時間短縮にもつながったという。
彼は年間300日山に入る。仕事内容は、竹の伐採、肥料やり(年6回)、草刈り(年4回)。
「竹は5年ごとに新しい竹に更新していくのね。今年のたけのこが竹になりかけているときに5年前の竹は伐採する。1年ごと竹に印をつけとくとわかりやすいさー」
伐採はチェンソーを片手に全て一人でこなす。その際何回も足を切ったことがあるそうだ。
「寝不足とかね、疲労感がある状態でやると一瞬のミスとかで足を切るさ。」
毎日体をリセットしコンディションを整えることも大事なことだそうだ。
肥料は研究に研究を重ね、独自の配合でできている。堆肥でいうと静岡県の畜産品評会で1位をとったもの。さらに草刈りで出た緑肥。ぼかし肥、みかんを入れたり、柿を入れたり工夫。総額肥料費だけでも50万はかかるそうだ。
「安定した成績を長い間続けて出さなきゃいけないのね。今年はものスゲーの掘れた、来年はダメだった…とか、それはアマチュアなのね。だけど、肥料をやってちゃんと手入れをしていれば、毎年ちゃんと出るんだよね。」
こうして、真剣にこだわり抜いて作られた”風岡たけのこ園”のたけのこは、
世界にオンリーワンの味となったのだ。
なぜそこまで頑張れるのか…
そこには学生時代にトライアスロンで培った努力と苦悩があった。
彼がトライアスロンを始めたきっかけは、遠距離になった元彼女にアピールするため。
そんな理由からだった。
「トライアスロンで活躍して、新聞に載れば彼女の目に入ると思って」彼は笑いながら言った。
トライアスロンは過酷なスポーツだ。だが、彼は見事にトライアスロン2年目で優勝し、新聞の記事に載ったのだった。
しかしそれも虚しく、彼女は若くして結婚をしてしまったのだった。
さらに彼は日ごろの努力で脚を痛め、トライアスロンの道を断念せざるを得なくなった…
挫折を背負った彼は、地元に戻り、やがて“たけのこづくり”に目覚めたのである。
「結局僕、トライアスロンで食ってきたかったんですよ。食っていけなかった過去があるから、早く寝たり、コンディションを整えたりっていたりするのは、そのころ実現できなかったプロスポーツとしての夢を今、続けていると思うんです。プロスポーツ選手って、プラス思考が強いって聞いたことがあるでしょう?世界記録を取っても次!って。じゃないと更新されちゃうのね。だから僕もそのプラス思考を農業にも持ち込んでやってきたことで今があるさ。」
『今はたけのこが自己表現』と彼は言う。
「トライアスロンもそうなんだけど、実際やるって相当な覚悟が必要で。僕はトライアスロンのキツさ、タケノコ農家のキツさに魅力を感じているんですよね。」
自分に厳しい環境にいるからこそ、このスタイルを保っていられるという。
そうして並々ならぬ努力が結果として現れたとき、彼はそれを“ファイトマネー”と呼ぶ。
「今親父と二人でタケノコ堀をしているのね。親父が亡くなったらうちの店は大ピンチを迎えるね。その大ピンチをどう切り抜けるかが今後の課題さー」
次世代のたけのこ農家が現れてくれることを切に願い、今日も彼は山に登るのである。